レオンティオスの中の二匹の蛇

 アグライオンの子レオンティオスは、北の城壁の外側に沿って都心へと向かっていた。日が傾き、空は貝殻の裏側のような不思議な色合いの光を放っていた。城壁ははるか彼方まで続き、道の上を黒い影で覆っていた。一定の間隔をおいて松明が点され道を照らしている。
 その道の途上、レオンティオスは死刑執行官の傍らに死体が横たわっているのに気がついた。
 レオンティオスは死体を間近で見たいという思いと同時に、見てはならないという気持ちも強くはたらき、立ち止まって顔を覆ったまましばし抗争した。
 城壁沿いの道を、神殿の方から一人の巫女が近づいてきた。巫女はレオンティオスの中で激しく咬み合う二匹の蛇を引き離し、右と左の手で掴み出した。左右の腕に蛇が絡みつくにまかせたまま、巫女はレオンティオスに語りかけた。
 「レオンティオスよ、思い惑うな。お前がそこにある死体を見たいと思うなら、見るがいい。その死体は間もなく取り片付けられ、二度と見る機会はなくなるだろう。何かをしない自由はいつでも行使できるが、何かをする自由はその機会のある時でなければ行使できないのだから。今その死体を見なければ、お前の欲望は満たされず、お前はその呪わしい欲望に取りつかれたまま生涯苦しむことになろう。見ることによって欲望から解放されることと、見ないことによって後悔に圧し潰されることと、どちらが正しいか、考えるまでもないではないか」
 レオンティオスは死体のそばに駆け寄るや、かっと両眼を見開き、松明のあかりに照らされた死体を凝視した。
 死体は男だった。槍で一突きにされたものか、死体の胸には丸く黒い穴が開いていた。すでに血は流れ尽し、地面に黒々と滲み込んでいた。男の両眼は反転し、青白い瀬戸物のような白目に毛細血管が赤く浮き出していた。大きく開かれた口のまわりを蝿が這い回っている。
 レオンティオスはその場に身をかがめたまま死体を観察し続け、やがて飽いた。
 日はとうに暮れ、あたりには夜の帳が降りていた。レオンティオスは死体のそばを離れ、星が輝く空の下を都心へと急いだ。
 何日かが過ぎて、都心での用を終えたレオンティオスは家路を急いでいた。
 北の城壁に差しかかると、その一角に男や女が群がっているのに気がついた。
 群衆の足下には、あの死体がまだ横たわっていた。死体の周囲を飛び回る蝿の数が増え、腐敗が進んでいるようだった。
 死体を観察する男も女も、その目に奇妙に潤んだ光を湛え、口元にかすかな笑いを浮かべていた。声を発する者はなく、死体に見入る群集の隠微な息遣いだけがレオンティオスの耳を撃った。
 卑しい欲望に身をゆだねる男女に、レオンティオスは目が眩むほどの怒りと嫌悪を覚えた。
 レオンティオスは道端の太い木の棒を拾い上げると、死体に群がる男女に叫び声をあげながら躍りかかり、棒を振り上げ振り下ろして殴り倒し、叩きすえた。
 
 
 Images from
 「国家」上・下 岩波文庫 プラトン(著) 藤沢令夫ほか(訳) 岩波書店
 「経済倫理学のすすめ」 中公新書 竹内靖雄(著) 中央公論社
 「合理的な愚か者」 アマルティア・セン(著) 勁叢書房

表紙に戻る

目次に戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送