マーラ

 
 
 窓の外で、夏が騒然と差し招く。
 真っ暗な青空がすっぽりと椀をかぶせたように地上を覆い、その内円を幾層もの雲が滑って行く。
 白い校庭のそこかしこに木々の影が黒い水のように漲り、その上を熱風が吹き抜け砂を巻き上げる。花壇のヒマワリの列がいっせいに騒ぎたち、学校を包囲する樹木の緑が囁き声で呼び交わす。
 蘭は夏の到来に気もそぞろだった。一学期が終わり、夏休みが始まる。
 教室では一学期最後の学級会の最中だった。クラスの取り決めで切手や葉書を持ち寄り、病に脅かされるどこかの国の子供たちの予防接種のために送るのだ。
 教卓の上に置かれた段ボールの箱に、生徒たちが持参した切手と葉書を入れ、先生がテープで封印する。
 ランの心はもう校舎の外へ、ざわめく沖の方へ、走り出していた。
 束の間学校から解放された蘭たちは、お互いに手を振り合い、髪を翻らせて散って行く。
 どこか遠くの国の子供たちの不幸のことなど、真夏の白い光の中に蒸発してしまっていた。
 

 左右を樹木に覆われた並木道の上に光と影がまだらをつくる。そのまだらを踏み敷いて牛車が走る。
 牛車やトラックが引きも切らず往来する道の上には深い轍がある。
 並木のトンネルを抜けると広大な水田地帯が広がり、夏の空を映す。
 いくつものトンネルを抜け、牛車は墓地へと向かう。マーラは祖母と二人で、死んだ姉・モモの墓を訪れるのだ。
 マーラは姉のことを覚えていない。
 マーラが歩き始める前に、モモは病気で死んでしまったのだ。髪に花を挿し、葉陰から顔をのぞかせて微笑む写真だけが、モモを思い出す手がかりだった。
 消毒薬の冷ややかな感触と匂い、医師のシルエット、注射針の先端から溢れ、伝い落ちるしずく、母親に抱かれた子供たちの泣き声が高い天井にこだまする・・・
 予防接種があれば、モモもお前と同じように生きられたのに。祖母や母がそう言っても、マーラにとっては予防接種はいとわしいものでしかなかった。
 赤い法衣を纏った托鉢僧の列が行き過ぎ、緑の中に仏塔が見えてきた。
 祖母との遠出がマーラの楽しみだった。

 
 蘭とマーラは、それぞれの国で大人になって行く。
 
 蘭はマーラを知らない。
 マーラは蘭を知らない。
 
 モモは鳥になり、夏空の深みで忘却の国の精となった。

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