サロあるいはソドムの百二十日

 爆撃で破壊された村の廃墟で、私はブランコをこいで遊んでいた。あたり一面に煉瓦やタイルの瓦礫が堆積し、見慣れた風景は一変しているが、崩れかけた教会の尖塔の位置から、かつての村の姿をかろうじて思い出すことができる。
 戦闘はまだ継続しており、時折カノン砲の轟きが遠雷のように遠く近く響いてくる。
 蛇行する河があり、大木を刳りぬいて造った一艘の舟が黒い旗を舳先に翻らせて、ペラーティ橋をくぐって下ってくる。舟には四人の修道士とその弟子たちが佇立している。  
 貝殻に紐をとおして数珠繋ぎにした飾りを首からかけた四人の修道士はこの村の統治者だった。四人は統治者の地位を次代に譲り渡すため、村にやって来た。彼らの後ろにつき従う弟子たちの中から、最良の若者が選び出され、村を建て直すのだ。
 舟を下り、河岸を上ってくる人々の中に、年上の友達がいた。
 「こんにちはエッツィオ」
 私はブランコを下りて、石壁の隙間の暗がりから半身をのぞかせる。
 「やあルイジ」
 エッツィオは肩越しに振り返って、優しく笑った。
 私は人々の列を見送った。
 石の門をくぐった彼方に一軒の家ほどもある巨大な竈が見える。四人の修道士とその弟子たちは竈の焚き口の鉄扉を開けて中に入って行く。生き残った村人たちが遠巻きに見守る中、焚き口が閉ざされる。滑らかな曲線を描いて視界を圧する白い竈の向こうに空が深い。その深みを緑色の戦闘機が軌跡を描いて横切って行く。
 竈の壁面にはところどころに煙出しの丸い窓が開いているが、煙が出ることはない。私はある日、竈に梯子をかけて壁面を登り、丸窓の一つを覗いてみたが、内部を見渡せるようにはなっていなかった。それは窓というよりはトンネルの入り口であり、円筒状の通気管が入り口から間もないところで垂直に折れ曲がって下に落ちているため、その先は見えないのだ。また、別の穴に入り込んで中を這い進んで行くと、途中で道が枝分かれしていて、最初に入った穴の左右に口を開けている穴から再び外に出てしまうところもあった。竈は子供の格好の遊び場になり、私の友人たちは毎日のように竈の穴にもぐりこんで、飽きもせずに遊び続けた。向こうの穴とこちらの穴から顔を出して笑い合うピエルとパオロ。
 そうしている間にも、竈からは何の物音も聞こえず、内部で何が起こっているのかわからないまま季節が移り変わる。やがて竈の周囲にも、廃墟のそこここにも小さな花が咲き始め、軍艦のように重たい春が到来する。
 ようやく竈の焚き口が開き、草の冠を頭にかぶった四人の若い弟子たちが歩み出てくる。四人とも豚のように肥え太り、食べかすのこびりついた口元に卑しい笑いを浮かべていた。四人の若者は師である修道士も、他の弟子たちも、食い殺して腹に納めてしまったのだ。エッツィオも食べられてしまったに違いない。
 蛇行する河の水は火のように赤く、河岸に群がって水遊びをする人々の影の合間に眩しく輝く。新たな統治者となった四人の若者は、尊大で猥雑な響きを持つ声で話し合いながら河岸へと歩いて行く。
 「ああ、喉が渇くな」
 「竈の中で、あいつらを辛いソースにからめて食ったからな」
 「しかしまだ食い足りないぞ」
 「これから、いくらでも食えるさ」
 
 
 
 Images from
  「ソドムの市」DVD ピエル・パオロ・パゾリーニ(監督)

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